引退を表明した五十嵐亮太投手の個人的思い出と記録
1998年9月に腹膜炎を発症し、 医者に一日遅れていたらアウトだったと言われた。
いつ人間はアウトになるかもしれない。 ならば悔いを残したくなく翌年からヤクルト全試合を見ようと決意。
1999年4月20日、いつもの神宮の席からスコアをつけながら 対中日戦2-2同点12回表、そぼ降る雨のマウンドに ひとりの若い投手が立っていた。
中日打者山崎武司を速球で三振に片づけた。 これは期待できるぞと注視すると 次打者井上一樹に中堅安打。それから二人の打者中村武志と神野純一に対し 投球するボールは剛速球だが高目に抜けて四球が続いた。 一死満塁。ここで交代。
因みに球審橘髙淳、一塁塁審渡田均、二塁塁審小林毅二、三塁塁審小林和公。
まだまだ制球力はなかったが、球速は抜群に早く、 どんな投手に化けるか楽しみを感じた夜だった。
そんな投手が日米通算905試合、NPB822試合登板。
そんな1試合目を思い出しながら五十嵐投手の引退報道を聞いた。
多分10月25日、引退試合登板906試合。 初マウンドと同じそぼ降る雨のマウンドに五十嵐投手が立ったら きっと泣いて目が曇るかも。
同じ学年の石川初登板、初勝利マウンド2002年4月4日、 対広島7回2死でマウンドを降りた後に2回1死を抑えたのが 五十嵐投手だった。
そのときにこの二人の投手に縁があって注目をし始めた。
石川には来年ももっともっと頑張って 五十嵐の現役続行への思いを背負って200勝を目指してもらいたい。