
さよならインフィールドフライ
今夜は“インフィールドフライのルールについて その3”の「だからどうなの話し」。
1991年6月5日、大洋対広島第8回戦(横浜球場)、9回裏、得点2対2の同点で一死走者満塁。インフィールドフライ状況だ。
打者清水選手は本塁付近に飛球を上げた。谷球審は打者アウトのジェスチャーとコールをした。
ところがこの飛球を達川捕手は捕球せずに落とした。そのボールを拾うと本塁ベースを踏んで一塁に送球した。その間に三塁走者の山崎選手が本塁ベースを踏んだ。大洋のさよなら勝利。
達川捕手と山本監督が併殺だと抗議する。だが、達川捕手は三塁走者の山崎選手のタッグしていなかった。
達川捕手、山本監督もインフィールドフライのルール知らなかったようだ。
さよなら勝ちの走者になった山崎選手は「インフィールドフライの宣告は聞こえたけど、ボールが落ちたので本塁に走った。それ以上は聞かないで。ただ好走塁と言っておきます」。
このコメントから山崎選手もインフィールドフライのルールを知らなかったとわかる。
達川捕手、山本監督、山崎選手、3人ともインフィールドフライのルールを知らなかった。
因みに谷審判員はこれでファインジャッジ賞を受賞した。
あまりにも有名なさよならインフィールドフライ。
というわけで、今夜もだからどうなの話し。