一方にとってミスジャッジは片方にとってナイスジャッジ。だからジャッジはジャッジなのだ

今夜は“ジャッジはジャッジなのだについて”「だからどうなの話し」。

2013年8月23日、中日対阪神16回戦(ナゴヤドーム)、3回二死一、二塁で阪神マートンの打球は右翼フェンスに向かって飛んだ。ジャンプした右翼手平田はグラブに収めた。名幸一塁塁審の判定は直接捕球でアウトとジャッジした。これに対し阪神和田監督が抗議、長時間に及んだので退場処分にした。

そもそもジャッジとは和田監督にとってミスジャッジでも敵将の高木監督にとってはナイスジャッジなのだ。

逆の体験は和田監督もしているはずだ。あるジャッジが仮にもミスジャッジだとわかっていても、自分にとってナイスジャッジになるときは抗議しないではないか。

自分に利益にならないからミスジャッジとして抗議し、利益になるからナイスジャッジは抗議しない。こんな言い分は勝手ということだ。だからどんなジャッジでも「ジャッジはジャッジなのだ」と認めることなのだ。

「野球公認規則9.02審判員の裁定 (a)打球がフェアかファウルか、投球がストライクかボールか、あるいは走者がアウトかセーフかという裁定に限らず、審判員の判断に基づく裁定は最終のものであるから、プレーヤー、監督、コーチ、または控のプレーヤーが、その裁定に対して、異議を唱えることは許されない」。

その意味で、高木監督が「ファーストの審判も人間なんですよ。アウトセーフ、フェアファウル、捕った、捕らないは抗議権がないからしません」と言ったのは抗議権のある監督の態度として正しい。

それに対し「ここで言う必要がありますか? 僕たちはグラウンドの中でジャッジをするのが仕事」。と栄村責任審判員が言った。これで終わればよいのに「『真実と事実』という言葉があるじゃないですか」と付け加えた栄村責任審判員の“ミスジャッジ”を認めるようなひと言は審判員ファンとしてはさびしいかぎりだ。

というわけで、今夜もだからどうなの話し。