イチロー選手初安打のときの審判員は誰だったのだろうか?

今夜は“イチロー選手の初安打のときの審判員は?”「だからどうなの話し」。

イチロー選手が日米通算で4000本安打を達成した。この大記録も1本目があってある。

その1本目は1992年7月12日、ダイエー対オリックス18回戦。まだ登録名がイチローでなく鈴木になっている(左のオリックスのスコアと審判員の図をみてください)。打順は9番、第2打席でダイエーの木村投手から右前安打した。これが4000本の第一歩の安打である。

このときにはイチローがこんなすごい選手になるとは誰も思っていなかっただろう。ライト線審の柿木園悟審判員は初安打をフェアーセーフーのジェスチャーをしたかもしれない。周囲はまだイチローの実力を知らなかった。

一番その実力を知っていたのは本人かもしれない。

元オリックス球団社長井箟重慶著『プロ野球もうひとつの攻防』にイチロー選手のエピソードが載っていた。

“「僕は高校3年のとき、プロに行くという明確な目標を立てて過ごす覚悟を持っていました。そこで最後の夏の愛知県予選で打率10割の目標を立てました」。

結果を聞くと「6割8分で終わりました」。

三振の回数を聞いてみた。

「三振は3回です。でも、全部見逃しです。全部ボールでした」”。

これだけのことを球団社長に言えるイチローはすでにヒットなら何本でも打てる自信があったのではないか、そう思える返答である。

というわけで、今夜もだからどうなの話し。