
一軍初出場試合はどんな試合だったのか? 中村稔審判員編
今夜は“一軍初出場の試合内容について”「だからどうなの話し」。
初安打、初本塁打、初打点、初勝利投手、初奪三振。何でも“初”が冠されるプレーは記憶に残るのでは。
審判員でも同じではないか。
そこで、今年、記念の試合数に達する審判員の初出場の試合内容を調べた。
まず、2500試合を達成する中村稔審判員。
1989年4月16日が初出場の日。右翼線審がポジジョンだった。
この日はロッテ村田兆治投手が200勝達成を掛けた日だった。
初めて夫のグランドの投球姿を見た奥さん。バックネット裏では肘の手術をしたジョーブ博士観戦していた。
残念ながら182球の血染めの熱投も叶わず200勝はお預けになった。
中村稔審判員はこの試合の右翼線審で初出場した。川崎球場は3万人の観衆。
この日中村稔審判員は「デビュー戦で緊張したが、村田投手の200勝の掛かった試合と重なり、記念になった。早く球審ができるようになりたい」と初出場のコメントをしていた。
というわけで、今夜もだからどうなの話し。