中村稔審判員、消火試合で初球審を務める

今夜は“初球審についての”「だからどうなの話し」。

1989年4月16日、ロッテ対近鉄3回戦(川崎球場)は3万人の観衆で埋まった。

ロッテ村田兆治投手が200勝を掛けた試合だったからだ。延長11回182球の熱投だったが200勝はお預けだった。

この日、中村稔審判員の一軍初出場だった。

初出場が村田投手の200勝の掛かった試合。上記の初出場のコメントのように忘れられない試合だった。次は初球審が忘れられない記念試合となる。

初球審はパ・リーグの全日程終了1試合前の消化試合だった。1989年10月18日、ロッテ対ダイエー25回戦(川崎球場)。観衆は4,000人。初出場試合の約10分の1の観衆数だ。消化試合だから仕方がない。

実は、この年の優勝争いは近鉄、西武、オリックスの三つ巴だった。10月12日、13日に川崎球場ではロッテ対オリックス3連戦が行われた。もちろん球場は大観衆だった。その翌日14日に近鉄が優勝した。

18日は観衆4,00人の「テレビじゃ見られない川崎劇場」で中村審判員は初球審を務めた。

残念ながら初球審のコメントは新聞記事にはない。どんな心境だったのだろうか。

というわけで、今夜もだからどうなの話し。