一人で三重殺のアウト宣告をした審判員は誰だ

今夜は“無補殺三重殺についての”「だからどうなの話し」。

澤宮優著『東京スタジアムがあった 永田雅一、オリオンズの夢』を読んでいたら今は無くなってしまった東京オリオンズの本拠地球場「東京球場」にて、日本でたったひとつの無補殺三重殺記録があったことを知った。

早速、宇佐美徹也著『プロ野球記録大鑑』で調べると1967年7月30日、東京対阪急戦で阪急住友平二塁手が無補殺三重殺を記録したことが書いてあった。

その内容は、2回裏東京の攻撃、無死一・二塁で打者大塚選手のときにヒット・エンドランがかかった。

打球は二塁左へのライナー。

直接捕球(一死)した住友二塁手はそのまま二塁ベースを踏んで二塁走者はアウト(二死)。

目の前に走って来た一塁走者にタッチして三重殺が成立した。

補殺なしの三重殺は日本プロ野球でこれしかない。

ならば審判員のデータを集めている私はこのときの審判員は誰かを調べたくなる。

この日はダブルヘッダーであった。その第一試合でこの無補殺三重殺があった。

そのときの審判員は表のとおりである。

二塁塁審の加藤審判員は、住友二塁手がライナー捕球してアウトを宣告、二塁ベースを踏んでアウトを宣告、走ってきた篠原選手にタッチされてアウトを宣告。

日本で無補殺三重殺のアウトを一人で宣告した加藤昌利審判員を審判員データお宝ボックスに名前を納めることにした。

というわけで、今夜もだからどうなの話し。