
史上1度しかない1試合2度の三重殺試合の審判員は
今夜は“1試合2度の三重殺”についての”「だからどうなの話し」。
三重殺は1950年2リーグ制以後に何度あるか数えてみた。
1992年までは宇佐美徹也著『プロ野球記録大鑑』で、それ以後は『パ・リーグニュース』と『セ・リーグレコード』を繰りながら調べた。
結果は139度あった。
1950年以後2014年までのペナント戦の総試合数は54,713試合だから1シーズンに2度しかない計算になる。この2度しかない三重殺を1試合で記録した試合がある。
1952年6月29日毎日対大映6回戦(川崎球場)であった。
1度目は1回無死走者一・二塁、毎日三宅選手が二塁直飛を打った。二塁手がその打球を捕球(一死)、二塁ベースに入った遊撃手に送球し(二死)、さらに一塁手へ送球して三重殺が成立した。
このときのアウトジャッジは二塁塁審の横沢七郎が二度、一塁塁審の角谷松男が一度している。
2度目は10回同じく無死走者一・二塁で、別当選手の打球は遊撃直飛(一死)、二塁ベースに入った二塁手に送球し(二死)、さらに一塁手へ送球して三重殺が成立した。
このときのアウトジャッジも二塁塁審の横沢七郎が二度、一塁塁審の角谷松男が一度している。
プロ野球史上たった1度しかない1試合2度の三重殺で6つのアウトのうち4つのアウトを宣告した横沢七郎審判員は審判員データお宝ボックスに名前を納めなければなるまい。
因みを3つ書く。
一つ目の因みは、三重殺はパ・リーグが80度、セ・リーグは59度、圧倒的にパ・リーグが多い。なぜかな?
もうひとつは、無死走者一・二塁のときにコーチは必ず走者に野手の正面に直費が飛んだら必ず元のベースに戻れと注意するそうだ。だが、選手は本能で走ってしまうのだ。
最後にこのときにコーチは、内野に飛球が上がったら「インフィールドフライ」だという注意はしてないそうである。選手はルールを知らないが、コーチも……。
というわけで、今夜もだからどうなの話し。