2回しかない無死走者二・三塁での三重殺の審判員は?

今夜は“無死走者二・三塁の三重殺”についてのだからどうなの話し。

2015年6月29日の『週刊ベースボール アメリカ野球雑学概論』にメジャー・リーグ史上初めての形で起こった三重殺の内容が載っていた。

4-5-4の三重殺である。

無死二・三塁で打者は外野に抜けそうな直飛球を二塁手が捕球(一死)。次に三塁に送球して三塁走者を刺殺(二死)、二塁走者は三塁近くまで来ていたので三塁手は二塁に送球し二塁走者を刺殺(三死)した。

この三重殺はメジャー2大リーグ発足してから554回目の記録とのこと。

日本では1950年以後2014年までに三重殺は139回あった。そのほとんどは走者一・二塁か満塁だ。

走者二・三塁での三重殺は2回しかない。2回しかない無死走者二・三塁での三重殺の内容は

①1954年8月26日毎日対近鉄14回戦(市川球場)、8回裏毎日が攻撃で起こった。

打者の荒巻投手がスクイズスリーバンド失敗(一死)、三塁走者は三・本塁間で狭殺アウトされ(二死)。二塁走者は三塁に向かったが三塁で刺殺(三死)。

このときに三重殺のアウト宣告したのは川瀬渉球審と横沢三郎三塁塁審。

②1987年9月2日近鉄対日本ハム22回戦(日生球場)、近鉄淡口選手が二塁ゴロ(一死)、飛び出した二塁走者が二・三塁間で狭殺(二死)、その間に三塁走者が本塁に向かい捕手が三塁走者を刺殺(三死)。

このときに三重殺のアウト宣告したのは林忠良一塁塁審、藤本典征三塁塁審、村田康一球審。

無死二・三塁での三重殺は珍しいのでこの審判員を審判員データお宝ボックスに名前を納めることにする。

というわけで、今夜もだからどうなの話し。