
サイクル安打が初めて認められたスペンサーの4安打
今夜は“サイクル安打元年”についてのだからどうなの話し。
2015年7月8日西武対オリックス13回戦(西武プリンス球場)でオリックスの安達選手が1回に三塁打、3回に本塁打、5回に本塁打、7回に単打、残る1打席で二塁打を打てばサイクル安打になった。だが、最後は中堅飛球で快挙を逃した。
この球場では2015年6月26日、西武対日本ハム8回戦で秋山翔吾外野手が残るは単打なのにサイクル安打を逃している。
サイクル安打達成は難しい。運もある。選手はどうしても意識してしまい力が入って残る1本が打てないようだ。
1950年2リーグ制になってから2015年までに65度のサイクル安打が記録されている。
だがサイクル安打が記録として有名になったのは1965年7月16日に阪急のスペンサー選手が阪急対近鉄15回戦(西京極球場)で4安打してからだ。
その安打の種類が単打、二塁打、三塁打、本塁打だった。4安打するのも稀なのに、4種類の安打を打った。
これはメジャーでは貴重な記録として残されていた。ところが日本では無視された。それでスペンサー選手がサイクル安打は貴重な記録だとアピールした。
それからサイクル安打を達成すると記事になるようになった。
上記図はスペンサー選手がサイクル安打を達成した試合の新聞記事。4安打したことしか載っていない。サイクル安打の見出しはない。
米田投手の奪三振2000の記録が大きく扱われている。
スペンサー選手は「シングル(単打)、ダブル(二塁打)、トリプル(三塁打)、ホームラン。一試合に塁打全部を記録したのは長い野球生活で初めてだから最高にいい気持ち」と語った。
なのに、翌日の新聞にサイクル安打の見出しが載ってないことに不満だったであろう。
因みにこの日スペンサー選手は単打、本塁打、二塁打して残る三塁打は延長12回に打った。
このサイクル安打達成の三塁打をセーフ判定したのは三塁塁審の川瀬渉審判員。
この判定があってサイクル安打が貴重な記録として見直されるようになったのだ。
それで、川瀬渉を審判員データお宝ボックスに名前を納めることにする。
というわけで、今夜もだからどうなの話し。