サイクル安打を“まるでヒットのサンプルをワンセット”と表現

今夜は“サイクル安打の名称”についてのだからどうなの話し。

阪急のスペンサー選手が1965年7月16日阪急対近鉄15回戦(西京極球場)で“単打、二塁打、三塁打、本塁打”を打った。

これは単なる4安打でなく、サイクル安打と見直すきっかけになったことは昨日書いた。

はたしてそうだろうか。

そこでスペンサー選手がサイクル安打を記録する前に“単打、二塁打、三塁打、本塁打”を打った選手を調べてみた。

1963年4月25日読売対阪神6回戦(後楽園球場)で王貞治選手が“単打、本塁打、三塁打、二塁打”のサイクル安打を達成した。

新聞は「打ったヒットが“ワンセット”」の見出しなっている。

記事は「第一打席のシングル・ヒットからはじまってホームラン、三塁打。七回は渡辺投手から二塁打と、まるでヒットのサンプルをワンセットにしたような当たり。」と書かれている。

確かにサイクル安打という表現はどこにもない。

スペンサー選手がサイクル安打を打ったあとの最初のサイクル安打を記録した選手も調べた。

はたして新聞記事にサイクル安打と書かれているだろうか? 

1968年5月28日西鉄対南海4回戦(平和台球場)で和田博実選手が“単打、本塁打、二塁打、三塁打”とサイクル安打を達成した。

新聞は“和田がサイクルヒットをマーク”と見出しに書いていた。

スポーツ報知を調べてただけだが確かにスペンサー選手がサイクル安打を記録する以前は“サイクル安打”との見出しはない。

以後に“サイクル安打”の見出しが書かれていた。

このことからスペンサー選手が“サイクル安打”という言葉を日本野球に定着させたことは確かなようだ。

因みに王貞治選手の“ヒットワンセットの最後の二塁打をセーフと判定したのは松橋慶季二塁塁審。

和田博実選手の“サイクルヒット”の最後の三塁打をセーフと判定したのは鈴木徹三塁塁審。

というわけで、今夜もだからどうなの話し。

図の上は王選手のヒットがワンセットの見出し。下は和田選手のサイクルヒットの見出し。