サヨナラ本盗をサポートした選手のその後と判定した審判員は?

今夜は“サヨナラ本盗”についてのだからどうなの話し。

1950年の2リーグ以後のサヨナラ本盗を調べてみた。もちろんそのときの球審は誰かも。

宇佐美徹也著『プロ野球記録大鑑』は1991年までの記録が掲載されている。大鑑によると1950年以降にサヨナラ本盗した選手は5人いる。

最新のサヨナラ本盗は1986年10月1日のヤクルト対大洋25回戦(神宮球場)。

大鑑の記録は1991年までだから1992年以後にサヨナラ本盗があったのか調べてみた。それがなかったのだ。

ということは1950年以降2014年までサヨナラ本盗した選手は5人しかいなかったことになる。

この5度の本盗はどんな状況で起こったかを調べたら、ヤクルトファンとしてイヤイヤ面白いことを発見した。

9回裏ヤクルトは渋井敬一選手が左中間二塁打で出塁。池山隆寛選手がバンドで送り、走者三塁、広沢克巳選手が敬遠四球で代走柳田浩一選手。

二死一・三塁になって打者小川淳司選手への3球目に柳田選手が二盗、大洋の捕手市川選手が二塁に送球する間に渋井選手がサヨナラ本盗に成功。

このサヨナラ本盗は11年ぶりの記録だった。

さて、柳田浩一は後の栁田昌夫審判員。

渋井選手の本盗成功をさせた柳田選手はこの年に1盗塁しかしていない。その盗塁がサヨナラ盗塁を成功させた盗塁だったのだ。

渋井選手もこの年に3盗塁しかしていない。結局、本盗成功は“まさかこの選手が盗塁する”とはの油断が成功の要因といえる。

小川淳司は後のヤクルト監督。池山、広沢は言わずもなが……。

最後に本盗成功のセーフジャッジした球審は平光清審判員。

もちろんこれは審判員データお宝ボックスに名前を納めることにする。

というわけで、今夜もだからどうなの話し。