西武秋山翔吾選手の連続試合安打期間中の審判員は?

今夜は“連続安打と審判員について”についてのだからどうなの話し。

縁というのか。西武の秋山翔吾選手が31試合連続安打期間中の審判を務めた審判員を調べた。

今、同じく阪急の長池徳士選手が1971年にパ・リーグの32試合連続安打記録した期間中に審判を務めていた審判員を調べている。

広島の高橋慶彦選手が1979年に日本記録の33試合連続安打記録した期間中に審判を務めていた審判員も調べている。

記録達成の“縁”を調べようとした動機がある。

それの一つに私が1980年以降に2000安打した選手のうち神宮球場で達成した4人の選手の現場にいたこと。

もうひとつは一軍出場が14試合しかない大和貴弘審判員がロッテ涌井投手と“縁”があったことである。大和貴弘審判員が一軍初出場した試合で涌井投手

は1000奪三振を達成している。

次に涌井投手が100勝達成したときに球審を務めている。

大和貴弘審判員は、一軍出場14試合中(実際は涌井投手が100勝達成までは13試合出場)に涌井投手の2度の記録に審判を務めている。

これは偶然とはいってもすごいことだ。

これには何か“縁”があるはずだと思う……。そんな偶然が他にはないかと、記録と審判員の“縁”を調べているのだ。

表は秋山選手が31試合連続安打期間中に多く審判を務めた審判員である。

津川力、名幸一明審判員が圧倒的に多かった。この2人は秋山選手と“縁”があるかも。

もし、秋山選手が連続試合安打新記録を達成するときにこの2名の審判員が球審を務めているかもしれない……。

そんなことないか。

というわけで、今夜もだからどうなの話し。