
サスペンテッド・ゲームも審判員は同じメンバーなのか?
サスペンテッド・ゲーム。
日没などで試合続行できず一時停止された試合のこと。
続きは同じ球場で両チームの次のシングル・ゲームに先立ち行う規則になっている。メンバーも同じで行われる規則になっている。
1962年6月13日、阪急対大毎10回戦【那覇市奥武山(おうのやま)球場】が日没サスペンテッド・ゲームになった。そのイニングスコアは右のスコアのとおりだ。
続きの試合は1962年7月8日西宮球場で行われた。ルール通りなら同じ球場=那覇市奥武山球場でおこなわれるはず。だが、場所は沖縄、再び沖縄に行くことは不可能。なので次のシングル・ゲームをする西宮球場に変更した。
阪急は8回裏1死から攻撃開始した。なんと9回裏に本屋敷選手のさよなら本塁打で勝利(左のスコア)。
このサスペンテッド・ゲームの後に「次のシングル・ゲーム」=12回戦が行われた。これも阪急が中田選手のさよなら本塁打で勝利。
阪急はサスペンテッド・ゲームとその後の試合と連続さよなら本塁打で勝利した。
お客さんは連続さよなら本塁打を見て興奮したようだ。
サスペンテッド・ゲームは同じ球場、同じメンバーで行われることになっているが因みに審判員はどうか調べてみた?
上記の表が6月13日と7月8日の審判員のメンバー。球審は同じだったが他の審判員は同じメンバーでなかった。
というわけで、今回もだからどうなの話し。