ヘー こんなことがあったのか。7人審判制

今夜は“7人審判制について”の「だからどうなの話し」。

1961年(昭和36年)4月27日の南海対近鉄2回戦の結果をスポーツ報知新聞で読んでいたらちょっとびっくりした。

スコアの横の△審判の行をみてください。

中川忠(球)、田川、上田、浜口(塁)、小松、坂本、砂川(外)と記載されている。なんと外野審判員が3名もいる。

当時は今と違って6人審判制だが、なんとこの日は7人制となっている。

なんでこんなことになったのか? 

実は、大阪球場はモヤが漂い、外野の視界が悪くなったので、二出川審判部長の指示で中堅に審判員を入れたとのことだ。これからわかることは二出川審判の臨機応変の処置も素晴らしいが、1試合に8人の審判員がいたということに驚く。

現在、4人制で控1名で5人。当時は1試合8人担当審判員がいたのだ。

というわけで、今夜もだからどうなの話し。