富沢宏哉審判員最終試合と石井琢朗投手の初勝利

今夜は“ちょっとした発見についての”「だからどうなの話し」。

偶然とは後日気づくことなのだ。

審判員のデータと選手のデータを調べている。ときたま「ヘー、こんなことがあったのか」と発見がある。

1989年10月10日のヤクルト対大洋25回戦(神宮野球場)。この日の審判員は、球審井野修、一塁塁審丸山文男、二塁塁審小林毅二、三塁塁審富沢宏哉、左翼線審久保田治、右翼線審岡田功。試合開始時間6時30分、観衆8,000人。大洋が4対3で勝利。

この日、三塁塁審富沢宏哉審判員の現役最終試合だったのだ。審判員は一年契約だからその年の全試合を終了してから審判員退任の通告を受ける。だから、後日、この試合が引退試合だったのかになる。

富沢審判員にとってこの試合は通算3776試合目だった。翌年、現場から離れ、これが引退試合になった。

さて、偶然だが、この試合は石井琢朗投手の初先発、初勝利の日だったのだ。

8回1/3を3失点(自責点1)、146投球数、7安打、10三振、3四球。

大洋は9回まで4対1で3点差リード。初先発、初完投、初勝利まであと1イニング。石井投手は広沢選手を三振にとる。あと二死。でもやっぱ緊張したのか一塁手パチョレックの失策から2失点。

松本投手の救援を仰いで勝利投手となる。「最後はビクビクで足が震えちゃいました」と初勝利のコメント。

石井選手は投手としてこの1勝しかしていない。

一方、富沢審判員はひっそりと神宮の三塁側通路から球場を後にした。3776試合出場は日本一高い富士山と同じ。この時点での最多出場試合だった。

因みに石井投手はウィンニングボールを受取った。とすると富沢審判員に引退ボールはなかったことになるのか。

というわけで、今夜もだからどうなの話し。