審判員は投手、打者の意思を判定基準にする。どうだろうか?

今夜は“意思で判定するについての”「だからどうなの話し」。

「投手の投げたボールは確かに外角に少し外れていた。しかし、投手が投げようとしたところにすばらしい回転の直球が正確に来た。だからこれはストライクだ」

「打者は投手の投げたボールを打とうとしてバットを始動させようとした。確かにバットは振っていないが、振ろうとしていた。だから空振りストライクだ」

「確かに打者が打った打球はわずかにポールの左側に切れた。飛距離130メートルのファールだった。打者は本塁打を打とうとしてフルスウィングしてあそこまで飛ばした。だからあれは本塁打だ」。

ストライクはストライクゾーンを投球が通過すること。

空振りはバットのヘッドが回転していること。

本塁打はポールの内側を通過すること。以上のようにルール通りに正確に判定する。それが審判員の務めだ。

審判員が判定すればどちらかが得し、どちらかが損するのだ。ならば、審判員の独断で判定する。

正確な判定よりも審判員は、投手、打者の意思を基準に感じたままを基準に判定する。そんな人間臭い判定が時にはあってもよいのではないか。

スーパースローモーションで事実を判定する機械的な判定よりよっぽど野球が面白くなるのでは……。

チャレンジ制度の導入は人間の意思を無視する野球になっていくのでは。無味乾燥な野球になるのでは……。

というわけで、今夜もだからどうなの話し。