五十嵐引退試合に見ながら思い出した苦い試合は?

横綱が負けるとニュースになります。審判員は判定を疑われるとニュースになります。セットアッパー、抑え投手が打たれて同点、逆転されるとニュースになります。

横綱は強い、審判員の判定は間違いない、セットアッパー、抑え投手は打たれないから失敗はニュースになるのでしょう。

五十嵐の引退試合を見ながら五十嵐投手がセットアッパー、抑えを完璧に成し遂げた試合は記憶がないことに気づきました。ところが失敗した試合は私の記憶にこびりついています。

2005年4月6日、ヤクルト対中日戦で9回表二死まで得点3-0でリードしていました。そこまで藤井、石井弘、五十嵐投手で18奪三振を記録していました。完璧な試合経過です。あと1奪三振すればプロ野球記録の19奪三振並び勝利です。

ところが五十嵐投手は二死後に福留選手に四球、アレックス選手に右前安打。二死走者一・二塁、本塁打で同点のピンチに立たされます。

ここで代打森野選手が右中間席に同点本塁打を放ちました。まさしく五十嵐投手はもちろん私にとっても悪夢の一打でした。

つぎの打者谷繁元信選手は三振で9回表同点終了。この三振で藤井、石井弘、五十嵐投手の3人でプロ野球記録の19奪三振、その上、古田捕手も捕手19刺殺を記録します。

私は五十嵐投手の記憶というとこの試合と初登板を思い出します。この試合は10回二死から井端、立浪連続安打、ウッズに死球で二死満塁となり福留選手に四球押出と、これが決勝点となり中日が勝利しました。

9回二死まで完璧な試合運びが悪夢で終わってしまった、抑え投手の悲劇を見たショックで私は忘れない試合になりました。

1999年4月20日対中日戦12回表2-2同点に五十嵐投手がプロ初登板で山崎選手から初三振を取った後から3打者連続出塁を許し投手交代し引き継いだ投手が安打されて敗戦投手となった試合を見ている私は五十嵐投手の引退試合に立会い、見届けながらこの2つの試合を思い出していました。

因みに五十嵐投手初登板と引退試合の両試合に立会い、見届けていた審判員小林和公。

それと引退試合観客14,484人のうち私だけではと思っています……。