投手だけがさらし者になるから打たれたくないのだ。四球を出すのだ。

今夜は“投手がさらし者になるから打たれたくないのだ”「だからどうなの話し」。

2万人の観衆の前でさらし者になるのはいやだ。それもどうして投手だけがさらし者になるのか。だからメモリアル本塁打や安打は打たれたくないのだ。投手のいつわざる気持ちだろう。

バレンティン選手が55号本塁打を打った。打たれたのは広島の大竹投手。バレンティンが塁間を回る間、それから花束贈呈、選手とハイタッチ、ツバクローアクション、テレビに向かったパフォーマンス。

その間、約2~3分、大竹投手はマウンドで一人立って待っている(その後、山内投手コーチがマウンドに来て、選手が大竹投手を囲んでいた)。

思い出した。古田選手が2000本安打をしたときも大竹投手だった。このときは一人ぽっちだった。約3分以上マウンドにいた。これではさらし者だ。

ひるがえって投手のメモリアルイベントで打者はさらし者になるか。ならない。

例えば、投手が完全試合をした。最後の打者が三振だった。投手が喜び、チームが投手を讃えているのを見ながら打者はベンチに去る。打者は観衆の前で恥をかかない。

投手の奪1000三振の打者になったとしても、投手は三振を奪った瞬間には花束贈呈はない。そのイニングが終わってベンチに戻るときにアナウンス嬢が「●●投手は1000奪三振をしました」。

この間、三振した打者はとっくにベンチに戻っている。打者はさらし者にならない。

だが、投手はさらし者になる。こんな不都合なことがあるだろうか。

だから投手は打たれたくないのだ。四球を出したくなるのだ。

と、神宮球場のマウンドに一人立っている大竹投手を見ながら、投手は損だなと考えていた。

というわけで、今夜もだからどうなの話し。