初回1番打者ランニング本塁打の打球方向と審判員の動きは

今夜は“ランニング本塁打と打球方向についての”「だからどうなの話し」。

初回1番打者ランニング本塁打の打球方向を調べてみた。

1967年5月20日の読売柴田勲選手の右中間飛球以外はすべて中堅、左翼飛球が多い。それも頭上を抜けるのではなく前進捕球しようとして後逸するケースが多い。そうなれば転々としたボールを追う時間がランニング本塁打になる原因になっている。

審判員の配置は4人制が多い。4人制で左翼、中堅に飛球が上がれば、二塁塁審は中堅、左翼方向にジャッジのために動く。従って、二塁ベースの触塁を三塁塁審が確認に走るから球審は三塁触塁と動く。それで球審が本塁生還判定をできなくなる。

走者なし場面で、中堅から左翼に飛んだランニング本塁打は基本的には球審が本塁生還判定をできなくなるのだ。

ところがセ・パ・両リーグが審判員4人制を配置した1995年以降で初回1番打者ランニング本塁打を球審が本塁生還を判定した審判員がいた。

その審判員は栁田昌夫。

2000年9月2日西武宮地克彦選手の中堅前ライナー後逸のランニング本塁打の本塁生還。これは二塁塁審村越茶美雄が近鉄大村選手の後逸を確認後に二塁触塁を確認できたためだ。

二塁塁審のポジショニングと中堅手の中間に飛球が落ちたのですぐに二塁ベースに戻れたのだろう。

因みに1992年4月26日ヤクルト飯田選手の左翼前ライナーを後逸したのは後に広島監督となるブラウン選手。

1998年7月4日阪神坪井選手の左前ランニング本塁打はプロ初本塁打だった。

というわけで、今夜もだからどうなの話し。