プロ野球史上1イニングに二盗、三盗、本盗の記録は? 1958年(昭和33年)から2015年(平成27年)までの日本野球機構の公式スコアシートを野球殿堂博物館で閲覧できようになった。

そこで、プロ野球史上たったひとりの「Only Play」選手、初めての「First Play」を見つけて、そのプレイの内容をスコアシートで読み解いた報告をする。

今回は盗塁の「ワンマンショー」1イニング二盗、三盗、本盗の3盗塁記録。

1950年2リーグ以後1イニング3盗塁は11度あった。1950年から1957年までの8年間に8度あったのに1958年以後2015年まで58年間に3盗塁しかない(1イニング3盗塁の最後の記録は1979年)。

それほどまれな1イニング3盗塁を1958年から2015年までのスコアシートで調べた。

1959年10月12日西鉄対近鉄26回戦(平和台球場)で西鉄城戸則文が2回裏1イニング3盗塁している。

そのプレイ内容は一死走者一・二塁で西鉄打者井上忠行が空振三振したときに小淵泰輔一塁走者が二盗を仕掛ける。

その間に二塁走者城戸則文が三盗、本盗を一挙に仕掛けて成功した。この3盗塁の内本盗成功は単独ではなく重盗の結果である。

もう一つは1961年9月7日阪急対大毎23回戦(西宮球場)でプレイ内容は阪急岡島博治が6回裏の二死一・三塁で一塁走者高橋勉が二盗を仕掛けると岡島博治が本盗を仕掛け重盗を成功した。これも単独本盗ではない。

因みに城戸則文の二盗、三盗、本島を判定したのは川瀬渉二塁塁審、長谷川信義三塁塁審、久喜勲球審で投手は近鉄黒田勉、捕手は後に「俺がムラタだ」で、日本シリーズで打球が当たり審判員は石ころを世に広めた村田康一。

阪急岡島博治の二盗、三盗、本島を判定したのは浜崎隆二塁塁審、川瀬渉三塁塁審、谷口三左衛門球審。川瀬渉審判員はこの二度の盗塁判定をしている。投手は小野正一、捕手は谷本稔。

さて、単独本盗の1イニング3盗塁は1979年6月5日日本ハム対西武3回裏に日本ハム島田誠が成功している。その内容は次回で。