いつから“トリプルスリー”という見出しが新聞に載るようになったのか?

今夜は“トリプルスリー”についてのだからどうなの話し。

3割、30本、30盗塁を“トリプルスリー”というようになったのはいつからだろうか? 

『スポーツ報知新聞』『スポーツニッポン』『ニッカンスポーツ』『サンケイスポーツ』で過去に3割、30本、30盗塁を達成した選手の記事を調べた。

その結果は“トリプルスリー”という見出しは2001年9月15日に松井稼頭央選手からだった。


過去の“トリプルスリー”の見出しはというと 

簑田浩二選手は“3種の神業だ3割、30本、30盗塁”(ニッカンスポーツ)。

野村謙二郎選手は“野村3割、30本、30盗塁” (ニッカンスポーツ)。

金本知憲選手は“金本最終戦で決めた3割、30本、30盗塁”(スポーツニッポン)。

“トリプルスリー”という見出しではなく、3割、30本、30盗塁と載っていた。

“トリプルスリー”ということばが新聞の見出しになるのは松井稼頭央選手の3割、30本、30盗塁からなのであった。

因みに、メジャーに“トリプルスリー”ということばはあるか調べた。なかった。

「30・30club」といことばはあったが、これは“30本塁打、30盗塁”を示すことばだ。“トリプルスリー”は和製英語なのではないか。もしかしたらメジャーでも3割、30本、30盗塁を“トリプルスリー”というかもしれない。


写真は広島の野村謙二郎選手が30盗塁し3割、30本、30盗塁を決めた瞬間の見出しと写真。二塁塁審は小林毅二審判員。二塁手はヤクルトの池山隆寛選手。というわけで、今夜もだからどうなの話し。