「情けは人のためならず」を誤解する投手がいる

今夜は“火付け投手についての”「だからどうなの話し」。

相変わらず閑古鳥鳴く最下位争いの神宮。まあ、飽きもせず参戦するよな。

9月4日ヤクルト対中日21回戦、7回表中日の攻撃。得点は1対1の同点、

状況は二死走者満塁、打者ルナ選手は石川投手から右前敵時打する。中日は2対1と1点リード。まだ二死走者満塁。ここで石川投手はマンドを去る。

ヤクルトは山本投手に登板する。

満塁の走者は全員石川投手が出した。従って、山本投手がこれら走者を本塁に生還させても当人には自責点はつかない。それに対し石川投手に自責点がつく。

二死走者満塁で中日の打者は平田選手。3ボール1ストライクからのボールを右中間に抜く敵時2塁打。満塁の走者は全員本塁生還。これでこの試合は中日の勝利と決まった。

ということで石川投手に自責点3点が加わった。山本投手は試合を壊した。石川投手を助けなかった。

さて、二死平田走者2塁で次打者森野選手は2塁ゴロでチェンジ。山本投手は自責点0。石川投手の自責点3点は石川本人が打たれたわけでない。悔しいだろうな。一方、打たれた山本投手は自責点0点。痛くもかゆくもない。

山本投手は「情けは人のためならず」ということわざを知っているのかな。

イヤ、間違って理解しているのだかも。平田選手を抑えて石川投手に「情けをかけることは、結局はその人のためにならない」と思っているのだ。山本投手は自分方が石川投手より先輩面しているようだ。

山本投手は、救援された投手に自責点を付けて、自分に自責点はつかない敵時打場面を何度見たことか。

たいてい試合をこわしている。援投手としては失格だ。

改めて、「情けは人のためならず」の意味を山本投手に教えておく。

「情けは人のためではなく、いずれは巡って自分に返ってくるのであるから、誰にでも親切にしておいた方が良い」。

救援投手は救援された投手の自責点を消すのが仕事なのだ。その親切をして、そのことで他の投手から信頼されるのだ。

それができない投手は救援投手ではない。火付け投手という。

きっと嫌われ投手になるのだろう。

というわけで、今夜もだからどうなの話し。